はじめてのハイカイ①

仕事を終えての帰り道、スマホが鳴った。

見慣れぬ電話番号。スルーしとこか・・・と、なにげなく画面を見てびっくり仰天。

***-***-0110   

110番?

って、警察やん(汗

警官A:「こちらは××警察です。○○さんの娘さんに間違いないですか?」

私:「はい、そうです。」

警官A:「実は、お父様が**地区で保護されました。自宅に誰もいらっしゃらないようなので。今はどちらですか?」

私:「仕事の帰りで、××警察まで30分くらいかしら?今すぐそちらに伺います。」

取り急ぎ、礼を言って電話をきった。

色んなことが頭を駆け巡る。

おそらく近い将来、ジィの次にはバァがボケる。2人ともそうなったらお手上げ。家で看るなら仕事を辞めるしかないし、極貧介護生活か。美味しいものも食べさせられない。孫の顔すら見せられなかった親不孝な娘、許せ。

ネガティブ思考の人間は「負のループ」にはまったら最後、悪いことしか頭に浮かばない。

超絶ブルーになりながら、××警察へと急いだ。

はじめてのハイカイ②

××警察に到着すると、警官Aが、丁寧に出迎え保護された状況をこと細かく説明してくれた。

その警官Aの背後で気まずそうに笑うジィ。ひとまず安心していると、どこからともなく警官Bが現れた。

警官B「お父様は、認知症ですか?

結構な大声である。ジィ本人が一番気にしていて、今はとてもナーバスな時期。

本人を前にして「ハイ認知症です」とも答えられず、苦笑でごまかした。

あれこれ書類にサインをし、ジィを連れて警察署を出た途端、水を得た魚のようにしゃべりだすジィ。

ジィ「今日は、みんなやさしかったな。」

私「よかったょ。」

はじめてのハイカイ③

そして、警察に保護されるまでに至ったコトの顛末を、ジィ本人が語りだした。

ジィ:「今日はお昼過ぎに家を出たんだょ。自宅から小山市まで歩いて、それから小山市から松戸市まで歩いた。松戸市から自宅へ帰る途中で迷ってしまった。夕方、道を聞いたら大騒ぎしやがって。おまけに警察を呼びやがったんだ。」

助けてもらってこの態度、全くもってジィらしい。

にしても、自宅⇒小山⇒松戸⇒自宅のルートって、ざっと160kmくらいだろうか?

あえて言うまでもないが、半日で歩けるわけがない。

お遍路さんもビックリですわ(汗

ここ1年で少しずつボケの感覚が狭くなってきたように思う。

そして翌日、昨日の一件があってのことか突然”精神鑑定“をしてみたいとジィが言い出した。

これ幸い!とばかりに”認知症外来“のある大きな病院に予約を入れる。数ヶ月先まで予約が埋まっているとのことだったが、1月末にキャンセル枠をゲットしたので連れて行くつもり。

嫌がるだろうか?

どうなることやら・・・

用意された包丁

夕食の準備にとりかかろうと台所へ。

いつも洗って立てかけている筈のまな板が横になっていて、その上にタマネギ3個と包丁が。しかもタマネギは袋に入ったままの状態だ。

なぜ?

これはタマネギ料理を作れ!と言う指示なのか?

真相を確かめるため、年寄りどもに話しを聞く。

私「まな板の上にタマネギと包丁があるんだけど、これどうした?」

ジィ「りんごだと思って買ってきたらタマネギだった。」

私「・・・(絶句」

エピソードを憶えているということは”認知症”というより”加齢”による障害だろうか?

まな板にのせるまで、それをリンゴだと思っていたのか?

いやはや、おそろしい限りである。

墓参り兼紅葉見物①

ジィをひきとってから、この時期に毎年かかさないイベントがある。

それは、ジィの友達K氏の墓参りだ。

といっても墓に行く訳ではない。10年ほど前、北茨城の山の斜面でK氏が首を吊って自殺した場所へ、線香と花を手向けに行くのだ。自殺する前の晩にジィと酒を飲んでいたらしく、その酒席で自殺をほのめかしていたという。取り違えだらけのボケたジィの記憶の中で、今だにそれを鮮明に憶えているということは、友達の自殺をとめられなかった罪悪感をまだ持ち続けているのだろう。

ということで、いざK氏の墓参りへ。

ここ数年、①日の出前に家を出発②日の出とともに線香をあげ③観光客で道が混雑する9時前に帰り支度というパターンが定着していて、今年も朝5時前の出発となった。

行きの車中で繰り返される話しは、K氏の自殺の理由について。適当に相づちを打ちながら、借金、病気、老い、孤独、希望の無い人生、どれも他人事では無いょなぁ・・・と、しみじみ思ったりして。

それでも、私個人的には、自分に与えられた時間を自ら捨ててしまうなんてしない。だって嫌でもいつかは死ぬんだし終わりがくるのだ。そんなに急がなくても。

生きていられる時間を捨ててしまうなんてもったいない。

まぁいわば、貧乏性でして・・・。

墓参り兼紅葉見物②

墓参りも無事に終わり、時計に目をやるとまだ9時前だ。思ったより道も空いていたのでバンジージャンプで有名な龍神大吊橋へ寄ってみることにした。

警備員に誘導されるがまま大きな駐車場に車をとめ、人の流れに沿って吊橋へと歩き始めた。橋までは5分~歩くらしい。

ジィに私の前を歩くよう促したが、「道が分からないからお前の後ろをついていく」と言う。それもそうだなと前を歩くことにした。

意外とキツい坂である。

3分ほど経っただろうか。大丈夫かしら?と後ろを振り返ると・・・

居ない!ジィがどこにも居ないのだ! 

よく「目を離した数分の間に行方不明」とか聞くけど、こんな感じなんだろな(冷汗

ま、まずい!どこへ行きやがった? 

慌てて来た道を戻ると、居た!数十メートル離れた場所に、見知らぬ若者達と談笑するジィの姿を発見!何やらしきりにあちこち指を差している。まもなく若者達はどこかへ去って行った。

何度か大声でジィを呼ぶと気づいた様子で、ゆっくりこちらへ歩いてきた。二度とはぐれないよう言い聞かせながら吊橋へつづく坂道を上る。

私「そういや、さっき、若い人達と何を話してたの?」

ジィ「道を聞かれたから、教えてやったんだ。」

私「??? いやだって、そもそもこの辺の道、知らないじゃん。何を聞かれてどう教えたの?」

ジィ「むこうが聞くから。俺は教えてやったんだ!」

聞けば聞くほど要領を得ない回答、しまいにはキレだす始末。

あたりを見渡すも、時すでに遅し。若者達の姿はどこにもみあたらず。

やっちまったな。若者達よ、許してくれ。

迷っていないことを願うばかりである。

敬老の日

年老いた両親にまつわる記念日といえば、①母の日、②父の日、③母の誕生日、④父の誕生日、⑤敬老の日。

1年に5回あると、たま~にどれか忘れてたりする(笑 

まぁ、自分の誕生日も忘れるくらいなので許せ(汗

幸い「敬老の日」だけは旗日なので、今のところ忘れたことは無いが。

決して高価なモノではないけど、その都度なにかしらプレゼントをしようとあちこち探しに行ったり。けど、適当なものが無いときは花!これにつきますな。今日も花にしちゃおかな~?とショッピングモールをうろうろしてたところ、いいもんみっけ!

丸洗い出来る「羽毛布団素材のベスト

朝と夜をとりちがえてるジィは、午前2時頃に起床することが多いのだが、冬はとにかく冷えるらしい。なのでこれに決定。で、同じベストをバァにも買って行こうと思ったのだが、女モノは暗い紫色しかない。バァは年寄り臭いデザインが好きじゃないのでパス。他にコレというものが見つからず、仕方無し、バァには「商品券」ということで。

結果、ジィにしては珍しく喜んでくれた。「こんなに軽くて暖かいハンテンは初めて!」らしぃ。

そか、真綿がぎっしり詰まったクッソ重い昭和のハンテンに比べたら、空気みたいなもんだしな。

そしてバァも、プレゼントならぬ「商品券」に喜んでくれた。ザ・満面の笑み。

そっちこっち歩けるうちは、自分で好きな洋服を選んで買うのが一番だ。

たまに喧嘩もするけどさ、いつまでも元気でな。

あたりまえのように毎年来る記念日だけど、あと20回(20年)あるかな~?

大切にしよぅ。

ウナギ弁当の呪い

部屋でテレビを見て居ると、異様な匂いが漂ってきた。

ん?なんじゃこりゃ?例えるなら、墓場から蘇ったゾンビのような匂い?

匂いの元を辿ると、案の定、ジィの部屋から漂ってくる。

しんでんのか? いやついさっき「おやすみ」って言ってたし・・・。

おそるおそるドアを開けると、この世のものとは思えぬ臭気にオエってなる。

部屋を見回すと、テーブルの上に見慣れぬ怪しい物体が! 

こ、これは・・・ウナギ弁当の食べ残しじゃ?買ってきたのは先週?いやもっと前だったか?

半透明のビニール越しにうっすら見えるカビが半端ない。

夕食時には無かったし、ついさっきまで匂ってこなかったということは、食べ残しを「押し入れ」又は「タンス」にしまう何時ものパターンか?とにかく臭いなんてもんじゃない。

まだ起きていたジィに、「ウナギ弁当が腐ってて臭いよ。なんでココにあるの?食べ残し、ドコにしまっていたの?」と問い詰める。

「腐っていない!臭くない!お前がおかしい!」の一点張りだ。おまけに鬼の様な形相で睨みつけてくる始末。

ジィのポンコツぶりとその鬼のような形相、たかが腐ったウナギ弁当、されど腐ったウナギ弁当、アタシの怒りが頂点へ達した。

とりあえず一部始終をバァに言いつける ⇒ 機関銃のごとく怒りをぶちまける ⇒ 呪われたウナギ弁当を前にバァと大笑い ⇒ 怒り収束 ⇒ 終了!

少し頭を冷やしまして・・・

まず、ジィを問い詰めることがそもそもの間違いなんだろなぁ。相手が認知症という病気だと心得ること。もっと寛容になりたいと思うのだが、、、ま、出家でもしないと無理ですわ(汗

ともあれ、こんな時に話せる相手が居るってことは、なんて幸せなんだろう。

誰かが居るって幸せだ。つくづくそう思う。

ニュースでは・・・

近年、単身の息子が親を殺めてしまう事件が目立つ。高齢者虐待の4割以上が息子によるものとのデータがあるので実際に多いのだろう。

経済的に余裕があればプロ(介護施設)に任せることも出来るが、そうでない場合、自身が働きながら介護をすることになる。

たった一人で貧困の中、慣れない介護生活。社交的でなく家事能力が低い男性にとって、介護者になるストレスはいかばかりかと案じてしまう。

助言や何らかの支援を受ける事が出来たら防げたかしら?と、ニュースで事件が報道されるたびに、いたたまれない気持ちになる。

ポンコツくん

何でも押し入れに投げ込んでしまうジィ。

洗濯物や空き缶、汚れた食器くらいならまだいいのだが。

押し入れに強烈な異臭を放つ生ゴミを発見した時、私のイライラがピークに達した。

私:「ワッ、勘弁して、マジでポンコツ。」

ジィ:「ポンコツ?!お前だ!ポンコツ!お前だ!ポンコツ!」

私:・・・(汗

とまぁ、3歳児の喧嘩か!っての。

まだ口喧嘩程度で済んでいるが、これがもし赤の他人様だとしたら?ポンコツ呼ばわりした時点で完全にアウト!虐待になる事例だ。決して言ってはならぬ負の言葉だと頭では分かっているのだが、ついつい口をついて出てしまう。修行が足りませんな・・・と、反省しきり。

ジィとバァの親、つまり私にとっての祖父母は、ごく普通の良心的な田舎者でとても愛すべき人達だった。晩年は寝たきりだったが頭はしっかりしていたので、病床で祖母とよく一緒に歌を歌ったものだ。食事の世話やオムツ替えも嫌ではなかった。むしろお世話することで不思議と自身の心が洗われたものだ。その祖父母も亡くなり、介護する対象が祖父母から両親へとシフトしただけなのだが、今は介護というよりも戦(イクサ)。ジィがやらかす失敗にイラッとするたび、「アタシうつわ小っちゃ・・・」とまぁ、自己嫌悪との戦いなのだ。認知症に特徴的な作話や妄想に振り回されることも多いし、何度も繰り返される同じ質問に辟易してしまう毎日。それでも、まわりの親族や友達らのちょっとした言葉に助けられながら、なんとか平穏に暮らせている。なんと恵まれていることだろう。

そして一番に思うのは、やはり親は親、どんだけポンコツだろうが生きて居てくれるだけでありがたい。

ポンコツでもいい たくましく育ってほしい・・・丸大ボンレスハム