ミステリー

何やら廊下に得たいの知れない丸い球体が落ちている。

私:「なんだこれ・・・虫か?」

と、近づいて驚愕!

ウンコだ!紛れもなくウンコ!

その謎を解明すべく、ジィの部屋をノックした。

私:「ジィ、これどうした?」

ジィ:「なにが?」

私:「なんでここにウンコ?」※ウンコを指さしながら

ジィ:「知らないっ!ウンコじゃない!お前だろっ!!!」※ぶち切れる

 

もう勝てる気がしない。押し黙る私。

後始末しながらも、どうやってソレはここに来たのだろうか?と考えれば考えるほど、謎が謎を呼ぶミステリーだ。

うんこミステリー。

そろそろオムツかな・・・

やりきれませんな③

そして、続々と政治家とのつながりが明らかに。

未だにこんな・・・ちょっとびっくり。

しかも、いつの間にか平和家庭連合に改名してるし。

更に、教祖が亡くなってから息子が分派したり、内部で後継者争いか?なんて話しもあるらしい。

もうそれ、平和家庭じゃなくね???

なんだかなぁ・・・

やりきれませんな②

ここにきて山上容疑者の家庭環境が続々報道される。

母親の宗教傾倒、1億円の献金、そして・・・父と兄の自殺。

うっわ!

きっつ!!!

私も知り合いを自殺で亡くしてるから、その時のなんとも言えぬ喪失感はなんとなく分かるつもりだけど。一番身近な家族2人が自殺って・・・それもうあり得ないし。逆に病まないほうが不思議なくらい。山上容疑者に心の拠り所になる人や家庭があったらまだしも、たった一人きりで背負えるような事ではない。相談出来る誰かが身近に居たら、また違ったかな?バカな事件を起こさずに済んだかな?と思うと気の毒でならない。

しかしさ、

日曜礼拝で千円寄付とかならまだ分かるけど、土地を売らせて1億円寄付させるって・・・特殊詐欺か?半グレか?

新興宗教と聞いていつも思うのが、神様が生身の人間ってどうょ?”お金が大好きな神様”なんて信じられますか?って話し。献金1億円を受け取る神様なんて、それこそもう煩悩の塊でしかない。

なんで信じてしまうかなぁ?

なんとも、やりきれませんな・・・

やりきれませんな①

先日、安部元首相が亡くなった。

心からお悔やみ申し上げます

当初、極左による犯行か?とも思ったが、政治家への襲撃事件といえば極右じゃね?極左の事件といえば内ゲバとか?

昭和じゃねーし・・・

そして逮捕された山上容疑者。

マスコミも、テロか?言論弾圧か?と騒いでいたが、蓋をあけてみれば個人的な恨みと社会への恨みつらみが明後日の方向に向いてしまったトンデモ事件。

全くもってやりきれない。

30年程前になるだろうか?「諸事情」があって、統一教会のイベントによく行っていた。安部元首相が統一教会のイベントに祝電を送ったり冊子の表紙を飾っていたのは紛れもない事実だ。実際に私がそこで見たり聞いたりしているのだから間違いない。だが、安部元首相と統一教会が特別な関係だったのか???と言えば、そうではないと思う。何故なら当時、全く違う組織や企業のイベントでも安部元首相の「祝電」があちこちで読まれていたから。

おそらく政治家として、限りなくグレーな組織や企業だと分かっていても、組織票と寄付金目当てに表面上は仲良くしていたんじゃないかな?先立つものがなければ政治なんて出来ない時代、政治家なんて皆そんなものだったから。政治家と言えばグレー、そんな時代だった。

そして現代へ・・・

山上容疑者に関して言えば、ネットにあふれている個々の情報を、頭の中でつなぐにつなげて負のループ、その行き過ぎた「思い込み」に執着した結果、積年の恨みがトンデモな方向に向いてしまったということだろう。

コンプライアンスを重視するようになった?とかで昔とはずいぶん変わったらしいが、当時の教団は、とにかく何をするにも高額なお金を要した。財産をつぎ込んだ結果、合同結婚式で最良のパートナーと巡り会い韓国で何不自由なく幸せに暮らしている者も居れば、一文無しとなり病んで自ら命を絶った者もいる。山上被疑者の家庭は限りなく後者といえよう。それらの事情を察すると大いに同情する面もあるが、だからと言って人を殺していい理由にはならない。事実を見誤った妄想の果ての凶行と言わざるを得ない。

近年、このようなトンデモ事件が増えている。事件を起こすのは決まって「リアルな人とのつながり」を無くした孤立無援の男性に多い。

超格差社会で超ソロ化が進む中、今後ますます訳の分からん事件が増えていくのでは?

まじ、こわいっす。

2回目の徘徊

仕事を終え家に帰るとジィの姿がない。どうやら散歩に出て行ったきりらしい。外は暗くなりはじめていた。

慌ててPCからジィの携帯をGPSで検索してみると△町4丁目の半径1kmの位置を指していた。つかジィが携帯を持っていればの話しだが。

リアルタイムでジィの動きを追えるよう、ポケットWi-FiとPCを車の助手席に乗せ、いざ出発。

捜索開始から1時間後、GPSの位置が変化していないことに気づく。

それが指し示すのは、

①ジィがその場所から微動だにしない=しんでる?

②GPSが機能してない=基地局を指してる?

のどちらかだ。

AUのサポートセンターに電話してみる。

私:「携帯位置検索のGPSが全く変化しないようですが?」

オペ:「通信障害の影響で、大変申し訳ありません。」

私:「 通信障害 なら、GPSが基地局を指してしまっている可能性は?△町4丁目 に基地局ってありますか?」

すると、2分ほど待たされたあとで、

オペ:「基地局の位置は把握しておりません。」

私:「そうですか、分かりました。」

電話を切った後・・・

いやちょっと待て。基地局も把握してないって本気かおぃ。

長年に渡りAU贔屓だが、初めて”解約”の文字が頭をよぎった瞬間。

まもなくして警察から、無事にジィが発見されたとの連絡が入る。

警察署でジィは「俺は別に道に迷ったわけではない」の一点張りで糞ジジィっぷり全開だったが、まぁ、とにく無事に見つかって良かった。

ホッとしすぎて、どっと疲れて、今日はもうお酒でも飲んでだな、明日もまた頑張りますか。

初めてのデイサービス

今日は、ケアマネさんが紹介してくれた施設にて、いよいよ体験入所の日。

ハンカチとポケットティッシュ、歯磨きセットに割れないコップや着替えをリュックに詰め、ジィを送り出す。

最近のジィは妄想が激しく、話す内容の半分は真実だが半分はガセだ。まともに聞いているとこちらの頭がおかしくなってくるほどの超とんでも話しを唐突にぶっこんでくる。なので、他の利用者さんとトラブルになるのでは?と思い、いつ何時でも引き取りに行けるよう家でスタンバっていた。

が・・・

そんな心配をよそに、なにごともなくご帰還。

私:「どうだった?」

ジィ:「いや~面白かった。明日も行くのか?」※満面の笑み

あとでケアマネさんに聞いたところ、他の利用者さんと仲良く過ごしていたそうだ。

杞憂に終わりましたとさ。めでたしめでたし。

介護認定その③

ケアマネさん訪問の日。

どんな人が来るのかな?と、ちょっとドキドキ。

ピンポーン!

ドアを開けると、なんともやさしそうなケアマネさん。話し方も、こちらが心配になるくらいゆっくりまったりで、ニコニコいやし系女子か。これから長い付き合いになるし、一安心。

まず、ケアマネさんと契約書を交わした後、あれこれ相談しながら今後の「ケアプラン」を決める。

実際に通うことになるデイサービスの施設は、ケアマネさんが所属している施設でなくても良いらしく、もし合わなかったら施設の変更も出来るとのこと。なので、初回の体験入所は近所の小規模施設を選択した。

作成した「ケアプラン」の役所への提出は、ケアマネさんがしてくれるらしい。

なので、あとは体験入所を待つのみだ。

どうなることやら・・・

介護認定その②

役所でもらった「介護事業所一覧」から施設を選ぶにあたり、悩みに悩んだが、結局どこが良いかなんて検討もつかない。とりあえず一番大きな施設を選択し電話をかけてみる。

電話口にて介護認定の程度や現在の状況をあれこれ聞かれた後、担当のケアマネージャが決定。今後、そのケアマネさんが定期的に訪問してくれることになるらしい。

早速「ケアプラン」を作成するため訪問してくださるとのこと。

いよいよ本格的な介護が始まる。

介護認定その①

これまでの流れ・・・

①、ジィがアルツハイマーとの診断を受ける。

②、市役所の福祉課窓口へ介護認定の相談に行く。

③、自宅に調査員が来て、あれこれ聴取される。

④、介護認定決定通知書と介護保険証が郵送されてくる。

⑤、④に同封されていた居住地域の「居宅介護支援事業所一覧」から介護事業所を選んで契約する。

↑ 今ここ

で、これからまだ手続きがあって、

⑥契約した事業所に「ケアプランの作成」を依頼

⑦「居宅サービス計画作成依頼届出書」なるものを、役所の福祉課に提出

しなければならないんですと。

みんなこんな面倒な手続きを得て介護してるんだなと思うと、ただただ感心するばかりである。

知らないことだらけで先が思いやられますな。どうなることやら・・・

家、ついて行ってイイですか?

若い頃、NASDA(現JAXA)にお勤めだったという父親が晩年ボケてしまい、介護を通して親子の距離を縮められたという息子さんが出演されていた。状況はちと違うが自身にも通ずるところがあって涙腺崩壊。テレ東かしら?良い番組だな。

「どんなに立派な人生を歩んだとしてもやがては老いて、最期は皆、同じように」的なことを出演していた息子さん(だったかな?)が話していたが、かの遠藤周作氏もエッセイでそれと似たような事を何度も書いてたな、そういえば。

10代前半から独り暮らし・・・そんな生活が長かった私は、親と住むのも最初は戸惑った。今は随分慣れたものだが、ちょっとしたことでイラッとして高嶋ちさ子ばりの暴言を吐いたりもする。親子だから「まぁ許せ」と思うのだが、その反面、”親しき仲にも礼儀あり”だなと反省しきり。おそらく「誰かしらが側に居る」ということに慣れ過ぎて、その幸せに甘んじている現状だ。

番組の終盤で、亡き父を偲んですすり泣く息子が映し出された。

近い将来、私もそうなるかな?

介護はいつか必ず終わりが来る。

必ず終わってしまうことを、肝に銘じておこう。